どんな人生を望むのか?
最近の自分への問いは、
人生に何を望むのか?
これは、私の先祖を通して託された、
私への望みでもあり、
この人生を通して探し求めている
目に見えない「テーマ」でもある。
人生を通して何を探し求めているのか。
先祖もまた、その人生を通して
探し求めていたのだろう。
生活の中に散りばめられたちょっとした
感情の動きの中で、
摑み切れなかったことが、
睡眠を通して
伝えられる時がある。
(人は寝ている間に、昼間の出来事を整頓し
魂は何らかと交流し、それを学びに変換する)
今朝も、そんな感覚で目覚めた。
その受け取りは、
その時々によって違うのだが、
今朝は、
左の小指の辺りから伝わってくる微細な振動を感じた。
その振動が左の掌に広がり、
やがて内臓が動き始める。
左掌から何かを受信し、
右掌から発信する
と聞くことが多いが、
今朝の感覚は、まさにそのものだった。
最近、訊ね続けていたこと。
「優しさとは?」
「日々の生活の中で優しさを感じたい!
人生は優しいもの」
そちらに変換したい。
その答えが、
入ってきているようだった。
左掌から入ってきた振動・エネルギーが
腹落ちした理解を促す感じ。
(ちょっと言葉では表現し切れない)
自分との違い故に、気づくことができなかった
理解できていなかった相手の「痛み」が
飛び込んでくる。
その痛みが腹落ちしたときに、
初めて自分ごととして感じられるようになる
相手の痛み、感覚。
自分中心の世界から、
少しだけ相手寄りの立ち位置での理解が進んだ時、
開き始める心の扉、、、、。
それは、
花がほころんで、
周りに香りをまき始めた時のような、
そんな、自然な何気ない優しさを、
自分の内側に広げてゆく。
日常の中に、
相手を気遣う
そんな優しさが散りばめられたら、
何かを摑もうと誰かと競うよりも、
はるかに心豊かな幸せの瞬間が多くなるだろう。
ベランダに出るたびに、
ほのかに香ってくるレモンの花の香。
この香りも、私の存在を感じているかのように、
その時々に合わせて、
静かに、優しく包み込んでくれるのだ。
あ~、妖精はいる!と感じる瞬間✨でもある。
今朝の気づきは、
そんな何気ない優しさに似ている。
なにかの優しさに触れるとき、
人の魂は震え始める。
幸せとは、そんな「優しい瞬間」なのかもしれない。
次元移行=すべてが自動的に解決する・・・わけではない
今、さまざまな場所で
耳にするようになった、
「地球は次元上昇している」
「新しい地球へ」といった言葉。
実際に、
エネルギーの変化や感受性の高まりを
感じている人も多いことでしょう。
この大きな流れの中で、
まるでアセンションが魔法のようにすべてを変えてくれる——
そんな期待を抱くこともあるかもしれません。
でも実は、「私の内側にある課題」は、
自分を深く見つめ、
受け入れ、癒し、統合するまで、
そこにあり続けます。
むしろ、
移行の光が強ければ強いほど、
自分の影もまた、
くっきりと浮かび上がってくるのです。
忘れていた感情や、幼い頃のトラウマ、
繰り返される反応のクセ。
できれば見たくない、避けたい!
と感じることもあるでしょう。
痛みを伴うこともあるし、
時間がかかることもある。
それでも、
自分の内なる声にそっと耳を傾けながら、
“今の自分”と手を取り合って生きること。
地に足をつけて、自分を丁寧に扱っていく
そのプロセスこそが、
本当の意味での「次元上昇」なのだと思います。
誰かと比べる必要はありません。
一人ひとりの魂は、
それぞれのリズムで旅をしているのです。
「速さを競う」のではなく、
「今ここに在る」ことを大切にして——
どうか、丁寧に、
自分を大切に扱うことに
喜びを感じるあなたでありますように。
祈りとともに。
人は、
自分の内側にある
「愛」を感じたくて、
様々な体験を作り出している。
外側から愛されたら、
「私は大丈夫!」
と感じるかもしれないが、
本当に知りたいのは、
本当に味わいたいのは、
自分の内側から溢れ出してくる
枯れることのない「愛」なのだ。
その時
あなたが感じたい
「愛」
と対になった感情はなに?
愛をより盛り上げてくれるのが、
「悲しみ」という感情ならば、
それを使うだろう。
それは、
「怒り」や「恨み」、「孤独」
「ドラマチック」な感覚や「絶望感」
なのかもしれない。
それらを通して、
「愛」をより鮮やかに体感できるのなら、
人は惜しみなくそれを体験するだろう。
苦しみさえも肥やしにしながら、
様々な自分を体験していくなんて、、、。
気がついていないだけで、
人間は、
なんて創造的で自由な存在なんだろう!
今日は、
とても小さな出来事についてお話します。
でも、私にとっては、
とてもとても大きな気づきでした。
今朝の話なんだけどね、
「夫婦喧嘩は犬も食ワン🐶!」
というけど、
まぁ、そんなところのお話です、笑😆
パートナーがトースターで焼きかけたパンが
焦げそうになっていたので、
「もう、焼くの止めるよ、焦げかけてるから。」
と、声を掛けて、トースターのスイチッチをオフにした。
彼は、携帯を触っていて、(メールか何かしているのだろう)
「そのままにしておいてくれ!」とのこと。
「でも、焦げるから切るよ!」と私。
「焦げても良いからそのまままにしておいてくれ!放っておいてくれればいい。」
とのこと、、、。
この時点で、私は既に電源を切っていたし、
頼まれても元に戻す気はサラサラない
のだけど、、、、
けど、けど、けど、、、、
怒り💢がムクムクと湧いてきて、キレてしまったのだ!
モヤモヤが言葉になって、
「私は、このパンが大切なの!
だから、そんな風に扱って欲しくない!
なんで目の前で焦げていくのを見ていなくちゃいけないわけ⁉️」💢
と声を荒げていた。
そもそも、このパンは、胃弱のパートナーが、パンの方が消化に楽だ、と宣うから、
海外輸入の小麦粉には、
最高の農薬や防腐剤が添加されており、
グルテンは身体によろしくないという説が
飛び交う中、
小麦粉は日本産で、
有機で無化学肥料で、
と長時間ネットで検索し、
アレルギーが出にくい古代小麦の
スペルト小麦全粒粉などを含め
3種類の小麦粉を取り寄せた。
そして、試行錯誤の結果、
全粒粉のスペルト小麦は30%
くらい配合すると、膨らみも良いまま
なかなか美味しいパンを焼くことが出来る
というところに辿り着いた。
だから、私は、このパンがとても大切なのだ!
それを、ぞんざいに扱われて、
目の前でみすみす焦げていくのを
見ているのは悲しい!
そして、挙句の果てに、
「焦げてしまった!食べれない。」
と嘆きながら、
焦げた部分を捨てているのを見るのは
もっと腹立たしい!
自分の出した言葉で、
「あー、私はパンをこんなに愛していたんだー!」と分かった瞬間に、
気持ちはとてもスッキリした。
パンの在庫が少なくなって、
新しいパンを焼いて欲しいときは、
メッセージとして、
収納ラックからベーカリーを取り出して、
キッチン作業台に置いておくのが、
我が家のルールとなっている。
そして、
今、目の前には、
ベーカリーが置いかれている。
でもね、小さな反逆者の私は、
自分の愛するパン🍞を
そんな扱い方しかしない人のために、
パンを焼くのはやめることにした。
材料はあるのだし、
ベーカリーもあるのだから、
自分で焼けばいい。
たかがパンと言えばそれまでだ。
小さなことかもしれない。
そんなことは、見逃せる人もいるだろう。
でも、小さなことであっても、
私が心を込めて焼いたパンに対して、
心無い扱いをしているのを
見て見ぬふりをするのは、
自分への冒涜でしかない。
私は、きっと、長い間、
自分をその扱いに順応させてきた自分自身に
腹を立てていたんだろう。
でも、
相手がそう扱っていたのなら、
私自身が、
「私をそんな風に(パンと同じ様に)
扱ってもいいですよ、
我慢できます。」
というオーラを出していたに違いない。
確かに、
私は長い間、
自分自身をリスペクトしてこなかった。
自分が何を大切にし、
どう動くのかを判断し決めているのは、
他でもない私自身だ。
だから、自分の行動は誰の責任でもなく、
自分自身の責任なのだ。
おかしいな?と違和感を感じながらも、
今までと同じ行動をするのか、
考え方と行動を変えるのか、
それは、
自分の感情というバロメーターに
敏感になるしかない。
私の気持ちを大切に扱うのは、
私自身なのだ。
小さな一つひとつを、
私が納得できるところまで磨き上げること。
その小さな気づきと行動が、
本当の意味で、
私の日々を豊かにしていくのだろう。
自分を大切に出来ない人が、
他人を大切にできるはずがないのだから。
今日は寒いから、みなさん
暖かくしてお過ごしくださいね❣️
秋も🍂深まり、木々の葉が色づいて来ました。
日本の秋は美しい!(冬かなー)
さて、今日は、
トランプさんが大統領選挙に当選してから
また、時々耳にするようになった
「スノーデン」というお名前。
何年か前に、ジャーナリストの小笠原みどりさんが
動画の中で語られていた
エドワード・スノーデン氏の言葉が
頭に残っていて、
もう一度見返してみた。
「エドワード・スノーデン」と言えば、
2013年に監視社会の闇を告発して
世界的なスクープを巻き起こしたことで有名なので、
誰でも1度や2度は聞いたことがある
お名前ですね。
当時一大スクープではあっても、
一庶民としては、何処かで、
「私には関係がない、、、」と感じてしまって
いたような気がするのです。
しかし、
プライバシーについて
彼が話した言葉を聞いた時、
私は再度聴き直さずにはいられなかった。
「プライバシーは個を守るためにあります。
個人には、
自分が信じるところを決定して表現するまでに、
他人の偏見や決めつけをのがれて、
自分自身のために考える自由が必要です。
そういう意味で、
プライバシーは、個人の権利の源です。
プライバシーがなければ、
表現の自由は意味をなさず、
言いたいことを言い、
あるがままの自分ではいられないからです。」
当然の説明なのかもしれないが、
「なんて、優しい表現なんだろう!」
と感嘆した。
ところで、
日本人には、プライバシーはあるのだろうか?
気がつけば、私たちは、
常に他人の目や評価を気にしていて、
周りと同じであるように
自分で自分を律したり
制限をかけていたりしないだろうか?
自分の頭で考えることをシャッタアウトしていないか?
自分のこと無視して冷たく扱ってないだろうか?
自分が何をどう感じ、
何を信じているのかが明確になり、
言語化されるまでにはそれなりに時間がかかる。
そのときの状況を、
スノーデン氏は、
「他人の偏見や決めつけをのがれて、
自分自身のために考える自由が必要です。」
と表現しており、
私は、ここにとても優しさを感じたのだ。
誰にも邪魔されず、
自分にありのままでいることを許し、
自分を自由に感じることができてこそ、
本当の自分に出会うことができるのだもんね。
自分に優しく、
自分を知る環境を作ってあげる
ことは大切だと再認識した次第です。
スノーデン氏にインタビューをされた
ジャーナリスト小笠原みどりさんのお話は、
考えさせられること満載でした。
ご興味のある方は、
是非、お聞き下さいませ。
https://youtu.be/A8sM_LafZqM?si=0UzCgMevbvJYh6fv